2016.03.30

今年から姉の家で暮らしはじめた母が
圧迫骨折のため2週間入院した
退院したら、凄く弱ってると連絡があり、
この土日を利用して逢いに行った。

姉の家はあいかわらず
犬と猫と人が自由に共存してる・・ヘンな家(笑)
人間は姉、娘、孫二人、それに母、女ばかりの四世代
あとは保護犬ハルと保護犬ビビ、拾い猫シロ

妹もワンコ2匹を連れての合流です

心配してた母は 私が行ったころにはすっかり元通り
元気な笑顔で ひと安心
入院中は薬で眠らされてたのか、意識はもうろう
筋肉も弱ってしまい しばらく立てなくなっていた。
食事もゼリー状のものだけだったようで食べ物ものどを通らない
入院が長引くと本当に寝たきりになってしまいそうだね

おどろいたのは、あの巨体犬ビビがまた少しダイエットに成功してた。
と、言ってもまだまだでっかいけどね
それにますますおだやかな仔になっていた。

散歩には、私が柴犬ハルとビーグル犬ビビを連れて行ったけど
断然 ハリー1匹のほうが大変!!
二匹はおとなしくてお利口さんだった

この散歩道、あと一週間遅かったらサクラで満開だったのに、残念

河川敷の散歩道。ワンコたちは楽しそう


我が家のハリーは
土曜日は長女家族に来てもらい、いっぱい遊んでもらった。
日曜日は次女と過ごしてた。
おかげで、ペットホテルはいかずに済んだ

でも、ハリーは日曜日、朝から何度も吐いてたようだ。
次女も熱を出した。

このお二人は、どうもお母さんいない病だったようで
次の日には全く異常なし!!

ハリーも私がいないと不安だったのね
一度もヘソ天寝、しなっかたそうだ
でも、私の帰りを見届けたあとは、しっかりこのポーズです

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2016.03.24
2016.03.19
2016.03.13
2016.03.13
5年前の3月11日
私は茨城県に住んでいた。
グラグラと来た時は職場にいて
必死で棚から落ちる書類や本を押さえてた・・・
茨城では震度4くらいはいつでもあること、不思議ではなかった
でも、「えっ!!まだ揺れてる・・・」
そうこうしてる間の部屋の隅にあったコピー機が部屋の真ん中に・・
そして天井がところどころはがれ落ち
「そとへ出てください」との指示で建物の外へ
そこでやっと、ただ事でないことに気付く
近所の家の屋根瓦が崩れ落ち
地面が割れてる!!
前を流れる川が横に波打っている
車酔いのような気分の悪さ!!たっていられない・・
「今日は帰ってください」って言われて
電車が止まって帰れない数人を 車通勤だった私は送ると申し出た
遠い距離ではないのに、信号機の消えている道路の怖い事怖い事
おそるおそる帰った我が家は ありがたい事に無事だった
ブルブル震えたり、おびえきったワンちゃんがたくさんいたそうだが
我が家のアンディは何事もなかったように出迎えてくれた。
大物というかノーテンキというか
でもアンディがいてくれたおかげで、とっても心強かった♥︎
バラバラの家族に、なかなか安否の連絡がとれなかったが
もう全員大人、幼い子でないので平常心でいられた。
主人は東京のビルの45階で一晩をあかした。
ライフラインがすべて使えない
ラジオをきくための単1電池を やっとの思いで手に入れ
ようやく情報を聞く事ができた。
もちろん、コンビニもスーパーもあっと言う間に物がなくなり
ガソリンスタンドも1キロほどの列
お店の数少ないペットボトルの水は
幼い子がいる家庭に回る事を願って買わなかった。
ありがたい事にまわりには井戸水を提供してくださるお家も多く
我が家はチョロチョロと水道が出てたので、近所のお家にもお裾分け
何日も電気がつかない家も多かったが
我が家は数日で使えた。
テレビがついてはじめて、東北の被害を知った
数日後、福島の放射能漏れ・・・
隣のお家は窓やドアの隙間にテープを張って目張りしてた
関西の方に避難する家もあった
でも私はそんな気にはなれない
年齢的にも大丈夫と、勝手に思ってた。
普段通り、アンディとの散歩もしてた・・
でも、多くの方が福島から避難して来られてそれはそれは気の毒だった
五年たった今、被害が大きくなかったため
すっかり忘れて 普通に生活しているが
自然災害の恐ろしさとともに、
やっぱり原発の恐怖は忘れてはいけないと思う
現実に、今も放射線量の問題はずっとついて回っている
野菜や果物、魚などの食品の選択の時
年齢がいってる私はいいが、
やっぱり幼い子をかかえてたら安全と思うもの選ぶだろうなあ
現在も庭の枝や雑草のゴミは、焼却ではなく、
放射性物質を含むものとして処理している
もう5年もの焼却できないゴミが保存されてるはず・・
色んな立場の方がいるから一概にはいえないけれど、
やっぱりこんなの恐ろしいものはもう増やしてはいけないのでは?と
私は思うのだけれどね
私は茨城県に住んでいた。
グラグラと来た時は職場にいて
必死で棚から落ちる書類や本を押さえてた・・・
茨城では震度4くらいはいつでもあること、不思議ではなかった
でも、「えっ!!まだ揺れてる・・・」
そうこうしてる間の部屋の隅にあったコピー機が部屋の真ん中に・・
そして天井がところどころはがれ落ち
「そとへ出てください」との指示で建物の外へ
そこでやっと、ただ事でないことに気付く
近所の家の屋根瓦が崩れ落ち
地面が割れてる!!
前を流れる川が横に波打っている
車酔いのような気分の悪さ!!たっていられない・・
「今日は帰ってください」って言われて
電車が止まって帰れない数人を 車通勤だった私は送ると申し出た
遠い距離ではないのに、信号機の消えている道路の怖い事怖い事
おそるおそる帰った我が家は ありがたい事に無事だった
ブルブル震えたり、おびえきったワンちゃんがたくさんいたそうだが
我が家のアンディは何事もなかったように出迎えてくれた。
大物というかノーテンキというか
でもアンディがいてくれたおかげで、とっても心強かった♥︎
バラバラの家族に、なかなか安否の連絡がとれなかったが
もう全員大人、幼い子でないので平常心でいられた。
主人は東京のビルの45階で一晩をあかした。
ライフラインがすべて使えない
ラジオをきくための単1電池を やっとの思いで手に入れ
ようやく情報を聞く事ができた。
もちろん、コンビニもスーパーもあっと言う間に物がなくなり
ガソリンスタンドも1キロほどの列
お店の数少ないペットボトルの水は
幼い子がいる家庭に回る事を願って買わなかった。
ありがたい事にまわりには井戸水を提供してくださるお家も多く
我が家はチョロチョロと水道が出てたので、近所のお家にもお裾分け
何日も電気がつかない家も多かったが
我が家は数日で使えた。
テレビがついてはじめて、東北の被害を知った
数日後、福島の放射能漏れ・・・
隣のお家は窓やドアの隙間にテープを張って目張りしてた
関西の方に避難する家もあった
でも私はそんな気にはなれない
年齢的にも大丈夫と、勝手に思ってた。
普段通り、アンディとの散歩もしてた・・
でも、多くの方が福島から避難して来られてそれはそれは気の毒だった
五年たった今、被害が大きくなかったため
すっかり忘れて 普通に生活しているが
自然災害の恐ろしさとともに、
やっぱり原発の恐怖は忘れてはいけないと思う
現実に、今も放射線量の問題はずっとついて回っている
野菜や果物、魚などの食品の選択の時
年齢がいってる私はいいが、
やっぱり幼い子をかかえてたら安全と思うもの選ぶだろうなあ
現在も庭の枝や雑草のゴミは、焼却ではなく、
放射性物質を含むものとして処理している
もう5年もの焼却できないゴミが保存されてるはず・・
色んな立場の方がいるから一概にはいえないけれど、
やっぱりこんなの恐ろしいものはもう増やしてはいけないのでは?と
私は思うのだけれどね